製品からサービスへ:大手タイヤメーカーにおける脱炭素とサーキュラーエコノミーの融合事例
はじめに:なぜ「サービスとしての製品」が脱炭素に貢献するのか
企業の脱炭素経営において、自社の製造プロセスからの排出量削減(Scope 1, 2)だけでなく、サプライチェーン全体での排出量削減(Scope 3)や、製品・サービスの利用・廃棄段階における排出量削減への取り組みが重要視されています。その中で、「サービスとしての製品(Product-as-a-Service: PaaS)」モデルへの転換は、製品のライフサイクル全体での環境負荷低減、特に脱炭素とサーキュラーエコノミー(循環型経済)を両立させる強力なアプローチとして注目を集めています。
製品を「所有」ではなく「利用」する対価としてサービス料を支払うこのモデルでは、製品の製造者(サービス提供者)は、製品を長寿命化し、効率的に使用・メンテナンスし、最終的に資源として循環させるインセンティブが強く働きます。なぜなら、製品寿命が延びれば、新たな製造コストや廃棄コストが削減され、サービス提供期間が長くなるほど収益性が向上するからです。これは、大量生産・大量消費を前提とした従来のビジネスモデルとは根本的に異なります。
本記事では、このPaaSモデルを先行して実践し、脱炭素とサーキュラーエコノミーを推進している大手タイヤメーカーの事例を取り上げ、その具体的な取り組み、定量的な成果、直面した課題と解決策、そして成功要因と戦略的示唆を深く掘り下げて解説します。
事例概要:タイヤメーカーのサービスモデルへの転換
自動車、特にトラックやバスのような商用車にとって、タイヤは運行コストや安全性に直結する重要な部品です。従来のビジネスでは、タイヤを販売し、顧客は摩耗すれば交換するというモデルが一般的でした。しかし、先進的な大手タイヤメーカーは、単にタイヤを販売するのではなく、「タイヤの走行距離」や「車両の運行効率」といった価値をサービスとして提供するモデルへとシフトしています。
具体的には、以下の要素を組み合わせた包括的なソリューションを提供しています。
- 高機能・長寿命タイヤの開発: 耐久性、燃費効率に優れた設計。
- タイヤの状態監視サービス: IoTセンサーやテレマティクス技術を用いて、タイヤの空気圧、温度、摩耗状態などをリアルタイムで遠隔監視。
- 最適メンテナンスとコンサルティング: 収集データを分析し、最適なタイミングでの点検、ローテーション、修理、リトレッド(再生)を提案・実行。運転手へのエコドライブに関するコンサルティングも含む場合があります。
- リトレッド(再生タイヤ)の推進: 摩耗したタイヤの台(骨組み)を再利用し、新しいトレッドゴムを貼り付けることで、製品ライフサイクルを延長。
- 効率的な回収とリサイクル: 寿命を迎えたタイヤを効率的に回収し、再生材や燃料として再利用する仕組みを構築。
- 使用量に応じた課金: タイヤの「本数」ではなく、「走行距離」や「時間」に応じたサービス料を課金。
このモデルにより、顧客は初期投資を抑えつつ、タイヤ管理の手間やコストを削減し、運行効率を向上させることができます。一方、タイヤメーカーは、顧客の成功(低コストで安全な運行)を支援することで、継続的な収益を得ると同時に、自社の環境目標達成にも貢献できるのです。
具体的な取り組み内容とプロセス
大手タイヤメーカーA社(仮想事例)は、このサービスモデルを推進するために、以下のような具体的な取り組みを進めました。
- 技術開発とプラットフォーム構築: タイヤに組み込むIoTセンサー(空気圧、温度検知など)と、車両から運行データ(速度、位置情報、燃費など)を収集するテレマティクス技術の開発・導入を進めました。これらのデータを統合・分析するためのクラウドベースのプラットフォームを構築し、顧客や自社のサービス担当者がリアルタイムで情報にアクセスできる環境を整備しました。
- サービス拠点の拡充と専門人材育成: リアルタイム監視データに基づき、迅速かつ最適なメンテナンスを提供するため、サービス拠点のネットワークを強化しました。また、タイヤの専門知識に加え、データ分析や顧客へのコンサルティング能力を持つ専門人材の育成に注力しました。
- リトレッド・リサイクル体制の強化: 高品質なリトレッドタイヤを安定供給するため、専用工場への投資や技術開発を行いました。また、使用済みタイヤの回収率向上と、マテリアルリサイクル・サーマルリサイクルの効率を高めるためのサプライヤーとの連携を強化しました。
- ビジネスモデルと契約形態の設計: 「走行距離課金」や「包括サービス契約」といった新しい契約モデルを設計し、顧客への説明と導入を推進しました。従来の製品販売とは異なる契約・請求システムを構築する必要がありました。
- 社内組織と評価制度の変革: 製品販売部門、サービス部門、研究開発部門、さらにはファイナンス部門が連携できるよう、組織構造を見直し、サービス収益や環境貢献度を評価指標に組み込むなど、評価制度を改訂しました。
定量的な成果
A社のサービスモデルへの転換は、顧客と自社の双方に定量的なメリットをもたらしました。
- CO2削減量: サービス利用顧客の車両運行における平均燃費が3%~5%向上したというデータがあります。これは、常に最適な空気圧・状態に保たれたタイヤを使用することで、走行抵抗が低減されるためです。これにより、車両の走行距離1kmあたりのCO2排出量を削減することができました。また、タイヤの交換頻度が平均で20%~30%削減され、リトレッド率が50%を超えたことで、タイヤ製造・廃棄にかかるCO2排出量を大幅に削減しました。ライフサイクル全体で換算すると、顧客1社あたり年間数トンから数十トンのCO2排出量削減に貢献した事例が報告されています。
- エネルギー消費量削減率: 燃費向上は直接的にエネルギー消費量(燃料消費量)の削減に繋がります。
- コスト削減効果: 顧客にとっては、タイヤ購入費用(初期投資)の削減、燃費向上による燃料費削減、タイヤトラブル減少による運行停止コスト削減など、トータルコストを平均で10%~15%削減できたという試算があります。タイヤメーカーにとっては、新品製造量の抑制による原材料費・製造費の削減に繋がります。
- 新たな収益源: 製品販売に加えて、サービス提供による継続的かつ安定的な収益源を確立しました。これは、市場の変動に左右されにくい収益基盤となります。
- 市場での競争優位性: 環境意識の高い顧客層からの支持を獲得し、単なる製品価格競争ではない、付加価値の高いサービスによる差別化を実現しました。これにより、新規顧客獲得や既存顧客のリテンション(維持)に成功しました。
直面した課題と解決策
この革新的な取り組みには、当然ながら様々な課題がありました。
- 顧客の意識変革と導入のハードル: 長年慣れ親しんだ「タイヤを購入する」というモデルから、「サービスを利用する」というモデルへの移行は、顧客にとって大きな変化でした。特に、走行距離課金に対する理解を得るのに時間を要しました。
- 解決策: 導入メリット(コスト削減、安全性向上、環境貢献)を具体的に数値で示し、個別説明会や導入事例共有を粘り強く実施しました。まずは一部車両での試験導入を提案するなど、段階的な移行を支援しました。
- 社内組織のサイロ化と連携不足: 製品販売部門とサービス部門、技術開発部門の間で目標やインセンティブが異なり、スムーズな連携が難しい局面がありました。
- 解決策: サービス事業推進を全社戦略として位置づけ、経営トップが強力に推進しました。部門横断のプロジェクトチームを組成し、共通の目標(例:サービス契約台数、CO2削減貢献量)を設定しました。社内研修を通じて、全従業員のサービスマインドと環境意識の向上を図りました。
- 技術開発とデータ活用能力の向上: リアルタイムデータ収集・分析には高度な技術と投資が必要です。また、収集した膨大なデータをいかに価値に繋げるかという課題がありました。
- 解決策: スタートアップ企業との協業やM&Aも視野に入れ、外部の専門知識や技術を積極的に取り入れました。データサイエンティストなどの専門職を採用・育成し、データ分析基盤への継続的な投資を行いました。
- 法規制や会計処理の複雑性: 製品販売とは異なるサービス契約モデルは、既存の法規制や会計基準に照らして複雑な検討を要する場合があります。
- 解決策: 法務部門、財務部門、外部専門家と連携し、慎重に契約条件や収益認識基準などを設計しました。必要に応じて関係省庁への照会なども行いました。
成功要因と戦略的示唆
A社の事例から、サービスモデルへの転換と脱炭素・サーキュラーエコノミー実現におけるいくつかの成功要因と、他の企業への戦略的示唆が見出せます。
- 長期的な視点での投資判断: 短期的な製品販売売上への影響を懸念せず、長期的な顧客価値創造と環境価値創造、そして安定的なサービス収益獲得への投資を決定した経営判断が重要でした。
- 顧客価値と環境価値の両立: 環境負荷低減という「地球に優しい」だけでなく、コスト削減や安全性向上といった「顧客に優しい」という両面での価値提供を追求したことが、顧客導入の大きな動機となりました。
- データ駆動型経営への転換: IoT等から得られるデータを単なる監視に留めず、顧客への具体的提案(メンテナンス最適化、エコドライブ指導)や自社のサービス改善、製品開発に活用したデータ分析能力が競争力の源泉となりました。
- 強固なパートナーシップ: 技術開発企業、サービスネットワーク提供者、リサイクル事業者など、多様なプレイヤーとの連携なくしては、この複雑なサービスモデルは成り立ちません。
- 経営トップの明確なビジョンとコミットメント: ビジネスモデルの根幹を変える変革には、経営トップの強いリーダーシップと、組織全体の意識改革を促す継続的なメッセージ発信が不可欠です。
他の産業、特に高価でメンテナンスが必要な製品(産業機器、医療機器、建機、家電など)を扱っている企業にとって、この「サービスとしての製品」モデルは、脱炭素とサーキュラーエコノミーを同時に推進するための有力な選択肢となり得ます。自社の製品・サービスのライフサイクルを見直し、どこに環境負荷が高いポイントがあるか、そしてそれをサービス化によってどのように削減できるかを検討することは、新たなビジネス機会の創出にも繋がります。
結論:サービスモデルへの変革が拓く脱炭素経営の新潮流
大手タイヤメーカーの事例は、単に製品を製造・販売する従来のビジネスモデルから脱却し、「サービス」という形態で価値を提供するビジネスモデルへの転換が、脱炭素とサーキュラーエコノミーを実現する上で極めて有効な戦略であることを示しています。
製品の長寿命化、効率的な利用促進、そして徹底した循環により、資源消費量とCO2排出量を削減するだけでなく、顧客への新たな価値提供を通じた収益基盤の強化、そして競争優位性の確立にも成功しています。
この事例が示すように、脱炭素経営は単なるコスト負担ではなく、ビジネスモデルそのものを変革し、企業の持続的な成長を可能にする機会となり得ます。自社の事業特性を踏まえ、どのように「サービスとしての製品」モデルやそれに類するアプローチを導入できるか、検討する価値は大いにあると言えるでしょう。データを活用した顧客への価値提供と、ライフサイクル全体での環境負荷低減を両立させる視点が、これからの脱炭素経営には不可欠となるでしょう。