製品カーボンフットプリント(CFP)算定・開示の実践:大手企業の戦略と課題解決事例
製品カーボンフットプリント(CFP)算定・開示の重要性と戦略的意義
近年、脱炭素経営の推進において、企業活動全体の排出量(Scope 1, 2, 3)の把握が不可欠となっています。中でもScope 3に含まれる製品・サービスのライフサイクルを通じた排出量、すなわち製品カーボンフットプリント(CFP)への注目度が高まっています。消費者や投資家の環境意識の高まりに加え、主要国における環境規制やサプライチェーン全体での排出量削減要求が強まる中で、CFPの正確な算定と透明性の高い開示は、企業の信頼性向上と競争力強化に直結する戦略的な取り組みとなりつつあります。
しかし、CFPの算定は製品の原材料調達から製造、輸送、使用、廃棄・リサイクルに至るまで、ライフサイクル全体のデータを収集・分析する必要があり、多くの企業にとって複雑かつ困難な課題を伴います。本記事では、製品CFPの算定・開示を戦略的に推進し、具体的な成果を上げている大手企業の事例を基に、その取り組みの実際、直面した課題、そして成功への鍵となる戦略的示唆を深掘りします。
事例に見る製品CFP算定・開示の具体的な取り組み
あるグローバル大手製造業A社では、脱炭素目標達成と顧客からの要望に応えるため、主要製品群におけるCFPの算定と開示に着手しました。その具体的なプロセスは以下の通りです。
- 推進体制の構築: 環境部門が主導しつつ、製品開発、調達、製造、物流、営業、ITなど、関連する全部門から担当者を選出した横断プロジェクトチームを設置しました。経営層は本取り組みを重要戦略と位置づけ、定期的な進捗報告と意思決定の場を設けました。
- 算定対象と基準の選定: まずは市場影響度が大きく、データ収集の比較的容易な主力製品群から取り組みを開始しました。算定基準としては、国際的に認知されているISO 14067や、業界固有のルール(PCR: Product Category Rule)が定められている場合はそれを参照しました。
- ライフサイクルデータの収集:
- 原材料調達・製造: サプライヤーからのインベントリデータ(投入エネルギー、原材料、排出物質など)収集が最大の課題でした。主要サプライヤーには専用のデータ入力フォームを提供し、説明会を繰り返し実施しました。自社工場内のデータは、既存のエネルギー管理システムや生産管理システムから収集しました。
- 輸送: 使用する輸送モード、距離、積載率に基づき、物流部門が持つデータと標準的な排出係数を用いて算定しました。
- 使用: 製品の使用頻度、使用時間、消費エネルギー量(電気、燃料など)を想定シナリオに基づき設定しました。標準的な使用パターンに関する顧客アンケートや、製品の技術仕様書、エネルギー効率に関する社内試験データなどを活用しました。特に耐久消費財の場合、使用段階のエネルギー消費がCFPの大部分を占めることが多いため、ここは精緻な推定が求められました。
- 廃棄・リサイクル: 製品の材質構成に基づき、一般的な廃棄方法(埋め立て、焼却)やリサイクル率を統計データや業界データから推定しました。リサイクルによる排出量削減効果(オフセット)の計上ルールは慎重に検討しました。
- 算定ツールの導入と活用: ライフサイクルアセスメント(LCA)ソフトウェアを導入し、収集したデータを入力してCFPを自動的に算定する仕組みを構築しました。これにより、算定の標準化と効率化を図りました。
- 算定結果の検証と開示: 算定されたCFPは、外部のLCA専門家や第三者機関による検証を受け、その信頼性を確保しました。開示方法としては、製品パッケージへの簡易的な表示(例:「CO2排出量〇〇kg」)、ウェブサイト上の詳細情報掲載、サステナビリティレポートやIR情報での報告を行いました。
定量的な成果と戦略的効果
A社は主要製品群のCFPを算定した結果、いくつかの重要な成果を得ました。
- 排出ホットスポットの特定: 算定データから、特定の製品において「原材料製造段階」や「顧客による製品使用段階」が排出量の大部分(例:CFP全体の60%以上)を占める「ホットスポット」であることを定量的に特定できました。これにより、削減活動の優先順位付けが可能になりました。
- サプライヤーとの連携強化: サプライヤーにデータ提供を依頼するプロセスを通じて、サプライチェーンにおける脱炭素の重要性を共有し、削減に向けた具体的な対話を開始するきっかけとなりました。一部のサプライヤーとは、再生可能エネルギーへの転換や低炭素素材の開発に関する協業検討が進んでいます。
- 製品設計へのフィードバック: 特定されたホットスポットを基に、製品開発部門は原材料の見直し(低炭素素材への転換検討)、エネルギー効率の高い設計への改善、長寿命化設計などを具体的に検討・実行できるようになりました。これにより、新製品開発の段階からCFPを意識した設計(DfC: Design for Carbon)が定着し始めています。
- 顧客への訴求力向上: CFP情報を開示することで、環境意識の高い法人顧客や消費者に対して、製品の環境性能を具体的に示すことが可能となり、製品選定における優位性につながる可能性が見えてきました。特に、自社のScope 3排出量削減に取り組むBtoB顧客に対しては、A社製品のCFP情報を提供することが重要な購買決定要因の一つとなっています。
- 新たなビジネス機会の模索: 製品の使用段階排出量が大きいことが判明した製品については、エネルギー効率改善のためのサービス提供や、製品のシェアリング・リースモデルへの転換といった、新たなビジネスモデルの可能性を模索する契機となりました。
定量的な成果としては、特定の製品群において、算定開始当初のCFPと比較して、原材料変更や設計改善の取り組みを通じてライフサイクル全体で平均5%のCO2排出量削減の目標を設定し、その達成に向けたロードマップを策定しました。サプライヤーとの協業による削減ポテンシャルはさらに大きく、将来的には10%以上の削減を目指しています。
直面した課題と解決策
CFP算定・開示の道のりは平坦ではありませんでした。A社が直面した主な課題とその解決策は以下の通りです。
- 課題:サプライヤーからのデータ収集と精度確保
- 困難性: 中小規模のサプライヤーからは、排出量データやエネルギー消費量データが取得しにくく、データ形式も統一されていない。データの信頼性も保証できない場合がある。
- 解決策: 主要サプライヤーを対象に、データ提供依頼の背景(顧客からの要求、脱炭素目標達成のため)を丁寧に説明する説明会を複数回開催しました。データ入力用の簡易的なウェブツールやテンプレートを提供し、データ提供のハードルを下げました。当初は業界平均データや二次データで代替することを許容しつつ、長期的な目標として一次データ収集への移行を求めました。サプライヤー向けの脱炭素支援プログラム(省エネ診断支援など)を検討し、データ提供へのインセンティブとしました。
- 課題:製品の使用段階・廃棄段階のデータ推定
- 困難性: 顧客の製品使用環境や使用方法、廃棄方法が多様であるため、現実的なシナリオ設定と正確なデータ推定が難しい。
- 解決策: 主要な市場における代表的な使用シナリオを複数設定し、感度分析を行いました。顧客アンケート、市場調査データ、製品のIoT機能から得られる実際の稼働データなどを活用し、推定の精度向上に努めました。廃棄・リサイクルについては、関連する業界団体や統計データに基づき、保守的な推定を行いました。これらの推定においては、透明性を持って算出根拠を開示することを方針としました。
- 課題:社内各部門間の連携と共通理解
- 困難性: 製品開発、製造、調達、営業など、各部門がCFP算定の目的やデータの重要性を十分に理解しておらず、データ提供や改善活動への協力が得にくい。
- 解決策: 横断プロジェクトチームによる定期的な情報共有会やワークショップを実施しました。CFP算定結果を各部門の KPI に紐づける検討を開始しました。経営層がコミットメントを繰り返し表明し、CFP算定・開示が全社戦略の一部であることを明確に伝えました。算定ツールを関係部門がアクセスできるようにし、自身の業務がCFPにどう影響するかを「見える化」することで、当事者意識の醸成を図りました。
- 課題:算定・開示コストとリソース
- 困難性: 初期投資(ツール導入、外部コンサルティング)や継続的なデータ収集・分析に関わる人的リソースの負担が大きい。
- 解決策: 段階的なアプローチを採用し、まずは主力製品群、次に派生製品へと対象を広げました。算定ツールの活用を徹底し、手作業による負荷を削減しました。外部コンサルタントは初期の体制構築や基準策定に活用し、その後の運用は可能な限り内製化を進めました。CFP算定・開示が単なるコストではなく、製品競争力強化や新規事業創出につながる「投資」であるという認識を社内で共有しました。
成功要因と戦略的示唆
A社の製品CFP算定・開示が成果を上げ始めた主な成功要因は以下の点に集約されます。
- 経営層の強いリーダーシップ: 脱炭素経営と製品CFP算定・開示を明確な経営戦略として位置づけ、必要なリソース投資と社内連携への指示を明確に出したことが、プロジェクト推進の強力な推進力となりました。
- 部門横断的な推進体制: 特定部門に任せるのではなく、製品ライフサイクルに関わる全部門を巻き込んだ体制を早期に構築し、共通の目標意識を持たせたことが、データ収集や改善活動における協力体制の基盤となりました。
- サプライヤーとのエンゲージメント: サプライヤーを単なるデータ提供元ではなく、共に脱炭素化を進めるパートナーとして位置づけ、丁寧なコミュニケーションと一部支援を通じて協力を促したことが、サプライチェーン全体のデータ精度向上と排出量削減に向けた重要な一歩となりました。
- デジタルツールの戦略的活用: LCAツールの導入により、複雑な算定プロセスを標準化・効率化し、得られたデータを分析・活用する能力を高めました。これにより、単なる算定に留まらず、製品設計や戦略策定へのフィードバックが可能になりました。
- 算定結果の「活用」を意識した取り組み: 算定・開示自体をゴールとするのではなく、得られたCFPデータを基に、排出ホットスポットの特定、削減ポテンシャルの分析、製品設計への反映、サプライヤーとの協業促進、顧客への価値提供といった「活用」を常に意識してプロジェクトを進めたことが、具体的な成果につながりました。
これらの事例から、ターゲット読者であるサステナビリティ担当者の皆様への戦略的示唆として、以下の点が挙げられます。
- 小さく始めて大きく育てる: まずは主要製品群やデータが比較的取得しやすい製品からパイロットプロジェクトとして開始し、経験とノウハウを蓄積しながら対象を拡大していくことが現実的です。
- 社内連携と人材育成: CFP算定は特定の部門だけでは完遂できません。全社的なプロジェクトとして位置づけ、部門間の連携を強化するとともに、LCAやデータ分析に関する社内人材の育成は不可欠です。
- サプライヤーエンゲージメントを最優先に: サプライチェーンにおける排出量はCFPの大部分を占めることが多いため、サプライヤーとの対話と協力をいかに引き出すかが成功の鍵となります。情報提供依頼だけでなく、削減に向けた協業や支援策も検討することが有効です。
- ツール導入は戦略的に: ツール導入は効率化に不可欠ですが、単なる計算ツールとしてではなく、データ管理、分析、シミュレーション、他システムとの連携といった機能を備えたものを検討し、得られたデータを戦略的な意思決定に活用できるような仕組みを目指すべきです。
- 「見える化」のその先へ: CFPの「見える化」は第一歩です。その結果を基に、具体的な削減施策の実行、製品・ビジネスモデルの変革、顧客や投資家への価値提案につなげる戦略的な視点を持つことが最も重要です。
結論:CFP算定・開示は脱炭素経営とビジネス変革の基盤
製品カーボンフットプリントの算定と開示は、企業の脱炭素目標達成に向けた不可欠なプロセスであり、ライフサイクル全体における排出構造を定量的に把握することで、効果的な削減施策の実行を可能にします。データ収集の困難さや部門間の連携といった課題は存在しますが、経営層のリーダーシップの下、部門横断的な協力体制を構築し、サプライヤーとのエンゲージメントを強化し、デジタルツールを戦略的に活用することで、これらを乗り越えることができます。
さらに、CFP情報は単なる環境報告のためだけでなく、製品開発、調達、マーケティングといった基幹業務と連携させることで、低炭素製品開発の促進、サプライチェーン強靭化、顧客エンゲージメント向上、そして新たなビジネス機会の創出といった、企業の競争力強化と持続的な成長に貢献する戦略的な資産となります。今後、国際的な情報開示の要求はさらに厳格化し、製品レベルでの環境情報の透明性はますます重要になるでしょう。本事例が、貴社の製品CFP算定・開示、そしてその先の戦略的な活用に向けた取り組みの一助となれば幸いです。