自然資本を活用した脱炭素戦略:森林によるCO2吸収量クレジット化と事業化事例
はじめに:脱炭素経営における自然資本の可能性
多くの大手企業が、Scope 1およびScope 2排出量の削減に加え、サプライチェーン全体でのScope 3排出量削減に注力しています。しかし、削減努力には技術的・経済的な限界が存在する場合もあります。こうした状況において、自社事業活動外でのCO2削減・吸収貢献、特に自然資本を活用したオフセットやインセットは、脱炭素経営を加速させる有効な手段として注目されています。
中でも森林は、光合成によって大気中のCO2を吸収・固定する重要な役割を担っています。適切な森林経営を通じてCO2吸収量を増加させ、これをカーボンクレジットとして定量化・取引することは、企業にとって新たな脱炭素戦略となり得ます。本記事では、企業が森林経営を通じてCO2吸収量クレジットを創出し、これを脱炭素経営に組み込む具体的な事例と、そのプロセス、課題、成功要因について解説します。
事例:森林経営によるCO2吸収量クレジット創出プロジェクト
ここでは、複数の大手企業の取り組みを参考に、自然資本である森林を活用したカーボンクレジット創出の具体的なプロセスと成果をモデルケースとして提示します。対象となるのは、自社で社有林を保有している、あるいは地域や他の森林所有者と連携して森林経営に関与している企業です。
具体的な取り組み内容とそのプロセス
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対象森林の選定と現状評価:
- プロジェクト対象となる森林を選定します。社有林の場合は、所在地、面積、樹種、林齢、管理状況などを詳細に評価します。地域連携の場合は、連携先の森林所有者や自治体と合意形成を図ります。
- 現状の森林状態、炭素蓄積量、生物多様性の状況などを専門家(林業技師、コンサルタントなど)と連携して調査・分析します。
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森林経営計画の策定:
- CO2吸収量最大化、生物多様性保全、水源涵養機能維持など、複数の目的を包含した長期的な森林経営計画を策定します。計画には、適切な間伐、植栽、下草刈り、主伐・再造林、路網整備などが含まれます。
- 特にCO2吸収量増加に貢献する間伐は重要な施業です。適切な間伐は、残存木の成長を促進し、光合成能力を高めることで、森林全体のCO2吸収能力を向上させます。
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カーボンクレジット認証制度への申請:
- 策定した森林経営計画に基づき、信頼性の高いカーボンクレジット認証制度(例:日本のJ-クレジット制度における「森林管理プロジェクト」)へのプロジェクト登録申請を行います。
- 申請には、プロジェクトの実施内容、対象森林情報、CO2吸収量算定計画などが含まれます。制度のルールに則った厳格な計画策定が求められます。
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プロジェクト実施とモニタリング:
- 認証された計画に従い、森林経営施業を実施します。
- プロジェクト期間中、CO2吸収量の算定に必要なデータのモニタリングを行います。これには、森林内の立木調査(胸高直径、樹高など)、間伐材積の記録などが含まれます。モニタリングは、専門知識を持つ担当者または外部委託により、定期的に実施されます。
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CO2吸収量の算定と検証:
- モニタリングデータに基づき、制度が定める算定方法を用いてCO2吸収量を計算します。J-クレジット制度の場合、標準的な算定式や吸収係数を使用します。
- 算定されたCO2吸収量は、第三者機関による厳格な検証を受けます。検証に合格することで、クレジットとして認証・発行されます。
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クレジットの活用と事業化:
- 発行されたカーボンクレジットは、自社のScope 1-3排出量オフセットに活用できます。これにより、どうしても削減しきれない排出量を相殺し、脱炭素目標達成に貢献します。
- また、クレジット市場を通じて外部に販売することも可能です。これにより、新たな収益源を確保し、森林経営コストの一部または全部を賄うことができます。
- クレジット売却益を、さらなる森林投資や地域振興に充てることで、持続可能なビジネスモデルを構築します。
定量的な成果
具体的な数値は森林の状態や施業内容により大きく変動しますが、一般的な事例から得られる定量的な成果の例は以下の通りです。
- CO2吸収量(クレジット発行量): プロジェクト期間(例: 5〜10年)において、年間あたり数十トンから数百トン/haのCO2吸収量増加が算定され、クレジットとして認証されます。例えば、100haの森林で年間100トン/haの吸収量が増加すれば、年間10,000トンのCO2クレジットが生まれます。
- カーボンクレジット収益: クレジット市場価格は変動しますが、仮に1トンあたり3,000円で取引された場合、年間10,000トンのクレジット創出で3,000万円の収益となります。この収益は、森林管理費用(年間数万円〜数十万円/ha)を上回る可能性があります。
- 自社オフセットによるコスト削減: 自社でクレジットを使用する場合、外部からクレジットを購入するコストが削減できます。
- 非財務的価値: 生物多様性の向上(調査指標で確認)、地域雇用創出、水源涵養機能強化、景観保全など、多角的な成果が期待できます。
直面した課題と解決策
この取り組みでは、以下のような課題に直面する可能性があります。
- 長期的な取り組みであること: 森林は成熟するまで時間がかかり、成果が出るまでに数十年を要する場合もあります。短期的な成果を求める既存の事業評価軸との整合性が難しい場合があります。
- 解決策: 経営層に森林の多機能性(CO2吸収、生物多様性、防災、木材生産など)と長期的な企業価値向上への貢献を丁寧に説明し、経営戦略の一部として位置づけること。カーボンクレジットのように比較的短期(数年〜10年程度)で成果を定量化・収益化できる仕組みを活用し、初期投資や管理費用の回収計画を示すこと。
- 専門知識の必要性: 適切な森林経営計画の策定、施業の実施、CO2吸収量の算定・モニタリングには、林業や炭素会計に関する専門知識が不可欠です。多くの企業にはこれらの専門人材が不足しています。
- 解決策: 林業コンサルタント会社、研究機関、NPOなどの外部専門機関と積極的に連携すること。必要に応じて、社内人材の育成プログラムを導入すること。
- 制度の理解と対応: カーボンクレジット認証制度の要件は複雑であり、手続きに時間と労力を要します。また、制度が変更されるリスクもあります。
- 解決策: 制度運営主体(例:J-クレジット制度事務局)や関連機関から最新情報を入手し、制度改正の動向を継続的に把握すること。制度の専門家と連携し、適切な手続きを確実に実行すること。
- 自然災害や病害虫リスク: 森林は台風、山火事、病害虫などの自然リスクに常に晒されており、これらがCO2吸収量を減少させる可能性があります。
- 解決策: リスク分散のため複数の地域でプロジェクトを展開すること。適切な森林管理(例えば、病害虫に強い樹種の選定や、被害拡大を防ぐための迅速な対応)を実施すること。森林保険への加入を検討すること。
- 地域社会との連携: 森林は地域と密接に関わっています。プロジェクトの成功には、地元住民や林業関係者の理解と協力が不可欠です。
- 解決策: プロジェクトの目的や内容について地域住民に丁寧に説明し、合意形成に努めること。間伐材の活用など、地域経済に貢献する仕組みを検討すること。地元の林業事業体に施業を委託するなど、連携を強化すること。
成功要因と戦略的示唆
自然資本を活用した脱炭素戦略が成功するための主な要因は以下の通りです。
- 経営層の強いコミットメント: 長期的な視点が必要なため、経営層が自然資本の価値を理解し、積極的に支援する姿勢が不可欠です。
- 多角的な視点での価値創出: CO2吸収だけでなく、生物多様性保全、水源涵養、地域活性化といった森林の多機能性を活かす計画とすることで、ステークホルダーからの支持を得やすく、プロジェクトの持続可能性が高まります。
- 外部専門家との連携: 林業、環境、クレジット制度など、多様な専門知識を持つ外部機関との連携により、高品質なプロジェクト設計と実行が可能になります。
- 信頼性の高い制度の活用: J-クレジット制度のような、国が主導または認証する信頼性の高い制度を活用することで、創出されるクレジットの信頼性が確保され、市場での評価も高まります。
- 地域との共生: 地域の自然環境や文化を尊重し、地域住民や林業関係者との良好な関係を築くことが、円滑なプロジェクト推進の鍵となります。
他の企業(特にターゲット読者の皆様)が自社の戦略立案や推進において参考にできる戦略的示唆としては、以下の点が挙げられます。
- 遊休地・未利用地の可能性評価: 社有林を持たない企業でも、遊休地や社有施設の敷地内緑地などを活用した植林や緑地管理によるCO2吸収プロジェクトの可能性を検討できます。また、サプライチェーン上のパートナー(農家、林業従事者など)と連携し、彼らの土地でのプロジェクトを支援する形(インセット)も考えられます。
- ポートフォリオ戦略への組み込み: 排出量削減努力を最優先としつつ、どうしても削減しきれない排出量に対して、信頼性の高いカーボンクレジット(森林由来を含む)を活用するオフセット戦略を、脱炭素ロードマップの一部として位置づけることが重要です。
- 新たな事業機会としての検討: 森林経営や自然資本活用は、単なる環境対策に留まらず、カーボンクレジット販売、間伐材等のバイオマス利用、森林ツーリズムなど、新たな収益源となる可能性があります。新規事業開発の視点からも検討する価値があります。
- 生物多様性保全との統合: 脱炭素と生物多様性保全は表裏一体の関係にあります。森林プロジェクトを計画する際は、CO2吸収量だけでなく、地域の生態系保全にも配慮することで、より統合的で強靭なサステナビリティ戦略となります。
結論
森林経営を通じたCO2吸収量クレジットの創出は、大手企業にとって、Scope 1-3削減努力を補完し、さらに新たな価値創造や地域貢献を実現する有効な脱炭素戦略です。長期的な視点、専門知識の活用、信頼できる制度への対応、そして地域との連携がプロジェクト成功の鍵となります。
今後、国内外で自然資本を活用した脱炭素の取り組みはさらに重要性を増すと予想されます。自社の事業特性や保有資産を考慮し、自然資本が持つ多様な可能性を脱炭素経営にどのように組み込めるか、戦略的な検討を進めることが期待されます。本事例が、皆様の脱炭素経営推進の一助となれば幸いです。