大手サービス企業のScope 3脱炭素:従業員移動とITインフラ効率化、グリーン調達の実践事例
知識集約型産業におけるScope 3脱炭素の重要性
多くの製造業がScope 1(自社の直接排出)やScope 2(エネルギー起源間接排出)の削減に注力する一方で、サービス業、特にプロフェッショナルサービスやコンサルティング、ITサービスといった知識集約型企業においては、Scope 3(その他間接排出)が排出量の大半を占めることが少なくありません。Scope 3には、従業員の通勤・出張、購入した物品・サービス、ITインフラ、資本財などが含まれます。これらの排出量を効果的に削減することは、サービス企業の脱炭素経営において極めて重要な課題となります。
本稿では、ある大手プロフェッショナルサービス企業(以下、事例企業)がどのようにScope 3排出量の削減に取り組んだか、その具体的な戦略、実行プロセス、直面した課題、そして得られた成果を深掘りし、他の企業が脱炭素戦略を推進する上での示唆を提供します。
事例企業の脱炭素目標とScope 3排出構造
事例企業は、2030年までにカーボンニュートラルを達成するという目標を設定しました。その排出量ポートフォリオを分析した結果、Scope 1, 2が全体の約10%に過ぎず、残りの90%がScope 3に起因することが明らかになりました。Scope 3の内訳では、従業員の出張(主に航空移動)、ITインフラ(クラウドサービス、データセンター)、そして購入した物品・サービス(備品、外部委託費など)が主要な排出源を占めていました。この分析に基づき、事例企業はScope 3の主要排出源に集中的に取り組む戦略を策定しました。
具体的な取り組み内容とプロセス
事例企業は、Scope 3の中でも特に排出量の大きい「従業員移動」「ITインフラ」「購入物品・サービス(グリーン調達)」の3領域を重点ターゲットと定め、以下の施策を実行しました。
1. 従業員移動(出張・通勤)の脱炭素化
- 出張ポリシーの見直し:
- 不要不急の出張を削減するため、代替手段としてのバーチャル会議(高品質なビデオ会議システム)の利用を強く推奨しました。経営層自らが率先してバーチャル会議を活用する姿勢を示しました。
- やむを得ず出張が必要な場合でも、移動手段における環境負荷を考慮した選択を促しました。短距離の移動では鉄道利用を原則とし、長距離移動や国際線においては、可能であれば直行便や燃費効率の良い機材を選択基準に加えるガイドラインを導入しました。
- 出張申請システムにCO2排出量算定機能を追加し、承認プロセスにおいて環境負荷を意識させる仕組みを構築しました。
- 通勤手段の脱炭素化支援:
- 公共交通機関利用を推奨する制度を拡充しました。
- 自転車通勤者向けのシャワー設備や駐輪場を整備しました。
- 電気自動車(EV)での通勤者向けに、充電インフラの設置を検討開始しました。
2. ITインフラ・デバイスの効率化とグリーン化
- クラウドサービスの最適化とグリーン化:
- 自社データセンターから、主要クラウドプロバイダーへの移行を加速しました。クラウドプロバイダー選定においては、そのプロバイダーが利用する電力の再生可能エネルギー比率や、データセンターのエネルギー効率(PUE: Power Usage Effectiveness)を重要な評価項目としました。
- クラウド利用量の最適化(不要なリソースの削減、サーバーレスアーキテクチャの活用など)を推進し、エネルギー消費量の絶対量削減に取り組みました。
- デバイスのライフサイクル管理:
- 従業員に供給するPCやモニターなどのデバイス選定において、省エネルギー性能やリサイクル容易性を基準に追加しました。
- 使用済みデバイスのリユースや適切なリサイクルを推進する回収プログラムを強化しました。
3. 購入物品・サービス(グリーン調達)の推進
- グリーン調達ガイドラインの策定:
- 主要な購入カテゴリー(オフィス用品、外部コンサルティング、IT機器、清掃・保守サービスなど)ごとに、環境負荷低減に資する製品・サービスを選択するための具体的なガイドラインを策定しました。
- サプライヤーに対し、自社のCO2排出量データ(Scope 1, 2)の開示を求めるエンゲージメントを開始しました。特に排出量が多いと想定されるサプライヤーに対しては、削減目標設定や具体的な取り組みを促すコミュニケーションを強化しました。
- 契約プロセスへの環境基準組み込み:
- 大規模な新規契約や既存契約の更新において、サプライヤーの環境への取り組み(脱炭素目標、再生可能エネルギー利用状況、環境認証取得状況など)を評価基準の一つとして組み込みました。環境負荷がより低いサプライヤーを優先する仕組みを試験的に導入しました。
定量的な成果
これらの取り組みの結果、事例企業は以下の定量的な成果を達成しました。
- Scope 3排出量削減: 目標設定から3年間で、基準年比約15%のScope 3排出量削減を達成しました。特に、出張による排出量は約30%削減されました。
- エネルギーコスト削減: ITインフラのクラウド移行と最適化により、データセンター関連のエネルギー消費量が大幅に削減され、年間数億円規模のエネルギーコスト削減に貢献しました。
- 従業員の環境意識向上: 出張申請時のCO2排出量表示や社内教育プログラムを通じて、従業員の環境問題への意識が向上し、自律的な行動変容が促進されました。
- サプライヤーエンゲージメントの強化: 主要サプライヤーの約60%からCO2排出量データの開示を得ることができ、一部のサプライヤーでは削減に向けた共同プロジェクトが開始されました。
直面した課題と解決策
取り組みを進める上で、事例企業はいくつかの課題に直面しました。
- 課題1:従業員の行動変容への抵抗
- 特にバーチャル会議への移行や出張手段の変更に対し、業務効率への懸念や従来の慣習からの抵抗がありました。
- 解決策: 経営層の強いリーダーシップの下、バーチャル会議ツールの操作研修や成功事例共有会を実施し、利便性やコスト削減効果を具体的に示しました。また、出張削減目標を部門評価の一部に組み込むことで、組織的な推進力を高めました。
- 課題2:Scope 3データの収集と可視化
- 特に購入物品・サービスに関するサプライヤーからのデータ収集は難航し、データの粒度やフォーマットも統一されていませんでした。
- 解決策: 段階的なアプローチを採用しました。まずは排出量の大きい主要サプライヤーに絞ってデータ開示を依頼し、並行して業界団体が提供する排出原単位データやライフサイクルアセスメント(LCA)データベースを活用しました。長期的な解決策として、サプライヤーとの共通プラットフォーム構築を検討開始しました。
- 課題3:コストと環境負荷削減の両立
- 環境負荷の低い製品やサービスはコストが高い場合があり、調達部門との連携において調整が必要でした。
- 解決策: 環境性能だけでなく、ライフサイクルコスト(運用コスト、廃棄コストなど)を含めた総合的な評価基準を導入しました。また、環境負荷低減とコスト削減が両立する事例(例:ITインフラ効率化によるコスト削減)を積極的に共有し、社内理解を深めました。
成功要因と戦略的示唆
事例企業のScope 3脱炭素戦略の成功要因は、以下の点に集約されます。
- 経営層の強力なコミットメント: 脱炭素目標達成への経営層の強い意志が、社内外へのメッセージとなり、取り組みの推進力となりました。
- データに基づいた排出源の特定と優先順位付け: Scope 3排出量の詳細な分析に基づき、効果の高い領域にリソースを集中したことが、効率的な削減につながりました。
- 部門横断的な連携と従業員の巻き込み: サステナビリティ推進部門だけでなく、IT、総務、調達、人事など様々な部門が連携し、従業員一人ひとりが脱炭素の担い手であるという意識を醸成しました。
- サプライヤーとの対話と協働: 一方的な要求ではなく、対話を通じてサプライヤーの理解を得ながら、共通の目標に向けた協働関係を築こうとした点です。
他の企業(特にサービス業)が本事例から学ぶべき戦略的示唆は多岐にわたります。まず、自社のScope 3排出構造を正確に把握し、主要排出源を特定することから始めるべきです。次に、特定された排出源に対して、自社の事業特性に合った具体的な施策を立案・実行することです。特に、従業員の行動変容やサプライヤーとの連携は、Scope 3削減における重要な鍵となります。これらは短期的な成果だけでなく、長期的な企業価値向上や競争優位性の確立にも繋がる取り組みと言えます。
結論
本稿で紹介した大手プロフェッショナルサービス企業の事例は、知識集約型産業におけるScope 3脱炭素化の現実的なアプローチと、その困難さ、そして克服の道筋を示しています。従業員移動の抑制と代替手段への移行、ITインフラの最適化とグリーン化、そしてサプライヤーとの連携を通じたグリーン調達の推進は、多くのサービス企業にとって有効な脱炭素戦略の柱となり得ます。定量的な成果を追求しつつ、ステークホルダーとの継続的な対話と協働を進めることが、複雑なScope 3削減を成功させる鍵となります。今後、より多くの企業がこうした先進事例を参考に、自社の脱炭素経営を加速させていくことが期待されます。