基幹産業の脱炭素挑戦:セメント製造プロセス革新とCCUSによる排出量削減事例
はじめに
セメント産業は、鉄鋼産業や化学産業と並び、製造プロセスにおけるCO2排出量が多い基幹産業の一つです。セメント製造過程では、主原料である石灰石の焼成時に発生するCO2(プロセス排出)と、燃料の燃焼に伴うCO2(エネルギー排出)が主な排出源となります。特にプロセス排出は、セメントの主成分であるクリンカーを製造するために不可避的に発生するため、その脱炭素化は極めて困難な課題とされてきました。しかし、パリ協定や各国の脱炭素目標達成に向け、セメント産業においても革新的な技術開発とビジネスモデルの転換が喫緊の課題となっています。
本稿では、この困難な課題に挑む国内外の先進セメント企業がどのように脱炭素化を進めているのか、その具体的な取り組み、定量的な成果、直面した課題、そしてそこから得られる戦略的示唆について、ケーススタディを通じて深く掘り下げます。ターゲット読者である企業のサステナビリティ推進部門の責任者・担当者の方々が、自社の脱炭素戦略立案や推進の参考にできるよう、実践的な情報を提供することを目指します。
事例企業の概要と脱炭素へのアプローチ
セメント産業における脱炭素化は、一つの技術に依存するのではなく、複数のアプローチを組み合わせることが不可欠です。先進的な取り組みを進める企業群は、主に以下の戦略を複合的に実行しています。
- 製造プロセスの効率化と革新: 既存設備のエネルギー効率向上に加え、将来的には電化や新たなクリンカー組成による低炭素化を目指す。
- 代替燃料の最大活用: 石炭などの化石燃料に代わり、廃棄物やバイオマス燃料の利用率を高める。
- 低炭素セメント製品の開発・普及: クリンカー比率を減らす、または革新的な低炭素クリンカーを使用するなど、製品そのもののCO2排出原単位を下げる。
- CCUS(炭素回収・有効利用・貯留)技術の導入: プロセス排出など、削減が難しいCO2を回収し、貯留または有効活用する。
- サプライチェーン連携: 建築・建設業界や廃棄物供給者など、バリューチェーン全体で連携し、Scope 3排出量削減や低炭素製品の普及を図る。
これらのアプローチを組織的に推進している企業の事例を基に、具体的な取り組み内容を見ていきます。
具体的な取り組み内容とプロセス
ある先進的なセメント企業X(複数企業の取り組みを統合した仮想事例)は、2050年カーボンニュートラル目標達成に向け、以下の具体的な施策を実行しています。
- 代替燃料利用率の向上: 従来、石炭を中心に用いていたキルン燃料を、廃プラスチック、古タイヤ、バイオマス由来の固形燃料(RDF/RPF)などに積極的に転換しました。専用の破砕・供給設備の導入や、燃焼条件の最適化技術開発を行い、代替燃料利用率を全体の熱量の現状約50%(国際的な先進事例ではこれを超えるケースも存在)にまで高めています。これにより、化石燃料使用に伴うCO2排出量の大幅な削減を実現しています。
- 製造プロセスの効率化と革新: 既存設備の予熱器効率を高め、キルンでの焼成に必要なエネルギーを削減しました。さらに、将来を見据え、低温で焼成可能な新たなクリンカー組成の研究開発や、将来的には電力を熱源とする「電化キルン」などの革新的プロセスの実証研究にも投資しています。
- CCUS技術の開発・実証: セメント工場から排出される排ガス中の高濃度CO2に着目し、分離・回収技術の実証プラントを設置しました。回収したCO2の一部は、コンクリート製品の製造プロセスで利用するなどの有効活用(CCU)の可能性も探っています。大規模な貯留(CCS)についても、地質調査やインフラ整備の検討を、政府や他産業と連携して進めています。実証段階では、排ガスからのCO2回収率80%以上を目指しています。
- 低炭素セメント製品ラインナップの拡充: ポルトランドセメントと比較してクリンカー比率が低い高炉セメントやフライアッシュセメントに加え、焼成温度を下げたり、クリンカー以外の結合材(例:焼成粘土)を多量に使用したりする新しいタイプの低炭素セメント製品「Eco-Cement(仮称)」シリーズを開発・市場投入しました。これらの製品は、建築基準を満たしつつ、従来のセメントと比較してCO2排出量を最大40%削減しています。
- サプライチェーン連携による価値創造: 建築設計事務所や建設会社と連携し、低炭素セメント製品の採用を促進する活動を行っています。製品の環境性能データを提供し、建物のライフサイクルアセスメント(LCA)におけるCO2排出量削減に貢献できる点をアピールしています。また、廃棄物供給者との長期契約や技術支援を通じて、高品質な代替燃料の安定供給体制を構築しています。
定量的な成果
これらの取り組みの結果、企業Xは以下のような定量的な成果を上げています。
- CO2排出量削減: 2020年比で、セメント1トンあたりのCO2排出原単位を現在までに約15%削減しました。これは主に代替燃料利用率向上とプロセス効率化によるものです。2030年目標として、30%削減を目指しています。CCUS技術が実用化され、大規模導入が進めば、さらに大幅な削減が期待されます。
- エネルギー消費量削減: 製造プロセスの効率化により、セメント1トンあたりの熱エネルギー消費量を約5%削減しました。
- 新たな収益源と市場での競争優位性: 低炭素セメント製品「Eco-Cement」シリーズは、環境意識の高い顧客層を中心に需要が拡大しており、企業の売上全体の約10%を占めるまでに成長しました。これは、脱炭素への取り組みがコストではなく、新たなビジネス機会と競争優位性の源泉となりうることを示しています。
- コスト影響: 代替燃料の利用は燃料費削減につながる側面がある一方、前処理設備への初期投資や運用コストが発生します。CCUSは技術開発・実証に巨額の投資が必要であり、回収したCO2の輸送・貯留・有効活用インフラ整備も大きなコスト要因となります。現時点では脱炭素投資がコスト増となる傾向がありますが、長期的な燃料費変動リスク低減や、カーボンプライシング導入による将来的な財務リスク回避効果が期待されます。
直面した課題と解決策
脱炭素化の推進にあたり、企業Xは以下のような多岐にわたる課題に直面しました。
- 技術的課題:
- 代替燃料の品質変動: 廃棄物由来の代替燃料は組成が不安定で、燃焼特性や排出ガス成分に影響を与える可能性があります。
- CCUSの高コスト・高エネルギー消費: CO2分離・回収、輸送、貯留/利用には莫大なエネルギーとコストがかかります。特に既存工場への後付けは困難が伴います。
- 低炭素クリンカー・セメントの性能評価・標準化: 新しい組成のセメントは、長期的な耐久性や施工性に関する標準化や建築基準の見直しが必要です。
- 市場・経済的課題:
- 低炭素セメントの価格プレミアムと市場の受容性: 環境性能が高い製品でも、コスト増が価格に転嫁される場合に顧客が受け入れるか不確実性があります。
- 巨額の設備投資と投資回収: CCUSや革新プロセスへの投資は数十億から数百億円規模となり、その回収には長期間を要します。
- 競合との公平性: 国や地域によって脱炭素規制や支援策が異なるため、国際的な競争環境下での投資判断が難しい場合があります。
- サプライチェーン・その他課題:
- 代替燃料の安定供給確保: 高品質な廃棄物由来燃料を安定的に、かつ経済的に調達するネットワーク構築が必要です。
- 人材育成: CCUSなどの先端技術を運用できる専門人材の育成が不可欠です。
これらの課題に対し、企業Xは以下の解決策を講じました。
- 技術課題への対応: 代替燃料については、高度な前処理技術やオンラインでの品質監視システムを導入し、組成変動の影響を最小限に抑えています。CCUSについては、他産業や研究機関との共同研究開発を通じて技術コスト低減を図るとともに、政府の補助金制度や税制優遇措置を最大限に活用しています。低炭素セメントについては、大学や研究機関と連携して長期性能評価を行い、業界団体や標準化機関と協力して新しい基準策定を推進しています。
- 市場・経済課題への対応: 低炭素セメントの普及には、単なる環境性能だけでなく、品質やコスト競争力も重要であることを踏まえ、量産効果によるコストダウンや、環境価値を価格に適切に反映させるための顧客コミュニケーションを強化しています。投資判断においては、炭素税や排出量取引制度などのカーボンプライシング導入リスク、将来の規制強化リスク、そして環境配慮型製品市場の成長性などを総合的に評価する長期的な財務シミュレーションに基づき決定しています。
- サプライチェーン・その他課題への対応: 代替燃料供給については、廃棄物処理事業者との長期的なパートナーシップを構築し、地域連携による安定調達モデルを構築しています。人材育成については、社内研修プログラムを強化するとともに、外部機関との提携による専門教育機会を拡充しています。
成功要因と戦略的示唆
企業Xの脱炭素への挑戦から、他の企業、特にターゲット読者であるサステナビリティ担当者が学ぶべき成功要因と戦略的示唆は以下の通りです。
- 経営層のコミットメントと長期ビジョン: 脱炭素は単なる環境対策ではなく、企業の存続と成長に関わる根幹的な経営課題であるという認識に基づき、経営層が強いリーダーシップを発揮し、困難な挑戦にも長期的な視点で投資を継続することが成功の最大の要因です。2050年などの長期目標から逆算したロードマップ策定と、それに基づいた継続的な実行が不可欠です。
- 複数のアプローチを組み合わせたポートフォリオ戦略: 一つの技術や施策に過度に依存せず、プロセス効率化、代替燃料、製品革新、CCUS、サプライチェーン連携といった複数の脱炭素アプローチを組み合わせ、それぞれにリソースを配分するポートフォリオ戦略が有効です。これにより、リスク分散と多角的な排出量削減が可能となります。
- 研究開発と外部連携への継続投資: 特に基幹産業における脱炭素にはブレークスルーとなる技術革新が不可欠です。短期的な成果に捉われず、長期的な研究開発に継続的に投資するとともに、大学、研究機関、他産業、スタートアップなど、外部との連携を強化し、知見や技術を取り込むオープンイノベーションの姿勢が重要です。
- バリューチェーン全体でのエンゲージメント: 自社の排出量(Scope 1, 2)だけでなく、サプライチェーン上下流(Scope 3)での排出量削減に取り組むためには、顧客(建設会社、建築家)やサプライヤー(廃棄物処理事業者、燃料供給者)との対話と連携が不可欠です。共通の目標を設定し、データ共有や協働プロジェクトを通じて、バリューチェーン全体の脱炭素化を推進する視点が重要です。
- 政策動向への対応と働きかけ: カーボンプライシング、補助金制度、規制緩和、国際標準化など、脱炭素に関連する政策は常に変化します。これらの動向を注視し、自社の戦略に反映させるとともに、業界団体などを通じて政策立案への働きかけを行うことも、競争環境を考慮した脱炭素戦略を進める上で有効な手段となります。
結論
セメント産業のようなCO2排出量が多い基幹産業における脱炭素化は、技術的、経済的、社会的に極めて困難な挑戦です。しかし、本稿で取り上げた事例企業群の取り組みは、経営層の強い意志、複合的なアプローチ、継続的な研究開発投資、そしてバリューチェーン全体での連携によって、着実に排出量削減と新たなビジネス機会創出を両立させていることを示しています。
他の産業においても、自社の事業特性に応じた技術選択、サプライチェーン連携の強化、そして長期的な視点での投資判断は、脱炭素経営を成功させるための重要な鍵となります。セメント産業の挑戦から得られる示唆は、脱炭素という壮大な変革期において、いかに課題を乗り越え、持続可能な成長を実現していくかという問いに対する、貴重な示唆を与えてくれると言えるでしょう。今後の技術進化や政策動向を踏まえ、これらの先行事例から学び、それぞれの企業が最適な脱炭素戦略を策定・実行していくことが期待されます。