グローバル企業における海外拠点脱炭素推進:ガバナンスモデルと実践事例
グローバル企業にとって、自社の事業活動に伴う温室効果ガス排出量、特にScope 1および2の排出量を削減することは、脱炭素経営の中核的な取り組みです。しかし、事業拠点が世界各地に分散している場合、各拠点の法規制、電力事情、文化、事業特性は多様であり、本社主導での一律な脱炭素推進には多くの困難が伴います。各拠点の主体性を尊重しつつ、全体として整合性の取れた高い目標達成を目指すためには、効果的なガバナンスと実行体制の構築が不可欠となります。
本稿では、グローバルに事業を展開するある製造業A社の事例を通じて、海外子会社・拠点における脱炭素推進の具体的なアプローチ、構築したガバナンスモデル、直面した課題とその解決策、そして成功要因と戦略的示唆を分析します。
事例企業A社の概要と脱炭素推進における課題
A社は、欧米、アジア、南米に製造拠点、研究開発拠点、販売拠点を広く展開する大手製造業です。グローバルでの事業拡大に伴い、サプライチェーン全体での排出量(Scope 3)削減に加え、自社拠点からの排出量削減(Scope 1, 2)が経営の喫緊の課題となっていました。
同社が脱炭素推進において直面していた主な課題は以下の通りです。
- 方針の浸透と実行力のバラつき: 本社で策定した脱炭素目標や戦略が、各地の子会社・拠点に十分に理解されず、実行へのコミットメントや進捗に大きな地域差が生じていました。
- 多様な事業特性への対応: 各拠点では生産プロセス、設備、エネルギー利用状況が異なり、一律の技術導入や省エネ施策では効果が出にくい状況でした。特に、エネルギー多消費型の製造拠点を多く抱える地域での削減が課題でした。
- データ収集・可視化の非効率性: 各拠点のエネルギー消費量や排出量データの収集プロセスが標準化されておらず、集計・分析に多大な時間を要し、リアルタイムでの状況把握や目標進捗管理が困難でした。
- 現地の法規制・市場環境への対応: 各国・地域で異なる再エネ調達に関する法規制、インセンティブ制度、電力市場の状況などへの対応が求められました。
- 拠点間の連携不足: 各拠点で個別に行われている脱炭素の成功事例やノウハウが共有されず、組織全体の学習と効率的な推進が進んでいませんでした。
これらの課題に対し、A社は本社主導によるトップダウンのアプローチと、各拠点の主体性を引き出すボトムアップのアプローチを組み合わせた、新たなガバナンスモデルと実行体制の構築に着手しました。
具体的な取り組み内容:ガバナンスモデルと実行体制の構築
A社は、以下の要素を柱とするグローバルでの脱炭素推進体制を構築しました。
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明確なグローバル目標と地域別ターゲット設定:
- 本社は、SBTi(Science Based Targets initiative)に整合したグローバル全体の長期的なCO2排出量削減目標を設定し、これを経営戦略の中核に位置づけました。
- 同時に、各地域統括本社や主要子会社に対して、それぞれの事業特性や市場環境、規制を考慮したストレッチングな中期削減ターゲットを設定することを求めました。これは、本社が一方的に目標を課すのではなく、地域の実情を反映させるボトムアップの要素を取り入れたものです。
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役割分担と責任体制の明確化:
- 本社サステナビリティ部門: グローバル戦略策定、目標設定、全体進捗管理、データ収集基盤の整備、技術情報の提供、グリーンファイナンスの活用検討など、全体の方向付けと基盤整備を担当しました。
- 地域統括本社: 管轄地域の目標達成計画策定支援、複数拠点にまたがる施策調整、地域特有の課題解決支援、現地の規制当局やパートナーとの連携などを担当しました。
- 各拠点: 具体的な省エネ施策の実行、再エネ設備の導入・管理、サプライヤーとの連携、従業員の意識改革、現地データ収集・報告などを担当しました。各拠点にサステナビリティ担当者(パートタイム含む)を配置し、目標達成に対する責任を明確化しました。
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データ収集・可視化の標準化とIT基盤整備:
- グローバル統一のエネルギー・排出量データ収集プラットフォームを導入しました。これにより、各拠点が同じ基準でデータを入力・報告できる体制を構築しました。
- 収集されたデータはリアルタイムで本社および地域統括本社で可視化され、拠点別、地域別、排出源別の排出状況や目標に対する進捗が一目で把握できるようになりました。これにより、課題のある拠点への早期の支援や対策が可能となりました。
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インセンティブ・評価制度への反映:
- 各拠点や地域統括本社の評価指標に、脱炭素目標の達成度合いを組み込みました。これにより、脱炭素推進が単なるCSR活動ではなく、事業部門・拠点の業績評価に直結する重要事項として位置づけられました。
- 脱炭素に貢献した従業員やチームを表彰する制度を設け、社内の機運を高めました。
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拠点への支援プログラムの実施:
- 省エネ診断や再エネ導入に関する専門家チームを本社または地域統括本社に置き、技術的な支援や情報提供を行いました。
- 初期投資負担が大きい再エネ設備導入などに対し、本社からの資金支援や、グリーンボンド発行などによる資金調達をサポートしました。
- グローバル全体でのベストプラクティス共有会を定期的に開催し、成功事例やノウハウの横展開を促進しました。
定量的な成果
これらの取り組みの結果、A社はグローバル全体で顕著な脱炭素の成果を上げています。
- CO2排出量削減: 基準年(2015年)比で、Scope 1および2の合計排出量を5年間で35%削減しました(当初目標25%に対し超過達成)。特にエネルギー多消費型製造拠点が多い地域での削減が進みました。
- 再エネ導入率向上: グローバル電力消費量に占める再エネ比率が、導入開始当初の10%から45%へと大幅に増加しました。PPA(電力購入契約)やオンサイト発電設備の導入が寄与しています。
- エネルギー効率改善: 生産量あたりのエネルギー消費量を平均で15%削減しました。これは、各拠点の省エネ活動や高効率設備への更新によるものです。
- データ管理効率化: データ収集・報告にかかる時間が約40%削減され、より頻繁で正確なモニタリングが可能になりました。
- コスト削減: 省エネや再エネ導入によるエネルギーコスト削減に加え、データ収集・分析プロセスの効率化による間接コスト削減も実現しています。
直面した課題と解決策
脱炭素推進の過程で、A社は様々な課題に直面しましたが、それらを克服することで体制を強化しました。
- 課題1:現地拠点の初期抵抗と優先順位: 一部の拠点からは、脱炭素への取り組みが本業の負担になるとの抵抗や、投資対効果への疑問の声が上がりました。
- 解決策: 本社経営層が繰り返し脱炭素の重要性を伝え、全社戦略における位置づけを明確にしました。また、拠点担当者との個別対話を通じて、具体的なメリット(コスト削減、リスク低減、企業イメージ向上)を丁寧に説明し、目標設定や施策実行計画の策定にボトムアップで関与させることで、主体性とオーナーシップを醸成しました。
- 課題2:データ収集・報告の正確性: 各拠点の計測機器や報告フォーマットが統一されておらず、データの精度にばらつきが見られました。
- 解決策: グローバル統一のITプラットフォームを導入し、入力項目や計測基準を標準化しました。また、プラットフォーム上でデータの異常値を検知する機能を設け、不正確なデータに対するフィードバックループを構築しました。定期的な担当者向け研修も実施しました。
- 課題3:変化する現地法規制への追随: 各国・地域の脱炭素関連法規制や政策が頻繁に変更され、対応に苦慮しました。
- 解決策: 地域統括本社が中心となり、現地の法務・専門家チームや外部コンサルタントと連携し、最新の規制情報を継続的に収集・分析しました。重要な変更については、本社サステナビリティ部門と連携し、グローバル全体での対応方針を検討しました。
- 課題4:サプライヤーへの働きかけ: Scope 3削減のため、海外のサプライヤーへの働きかけが必要でしたが、多岐にわたるサプライヤーへのアプローチが困難でした。
- 解決策: まずは主要サプライヤー(排出量の大部分を占める)に焦点を当て、データ開示の要請と削減目標設定への協力を求めました。同時に、サプライヤー向けに脱炭素支援プログラム(情報提供、技術支援など)を開始し、協働による削減を目指しました。
成功要因と戦略的示唆
A社のグローバルでの脱炭素推進が成功した主な要因は以下の通りです。
- トップコミットメントと明確な戦略: 経営層が脱炭素を経営の最重要課題と位置づけ、グローバル全体で一貫した強いメッセージを発信し続けたことが、全社を動かす原動力となりました。
- 標準化とローカライゼーションのバランス: データ収集基盤や基本的な方針はグローバルで標準化しつつ、具体的な目標設定や施策実行は各拠点の状況に合わせて柔軟に対応するハイブリッドなアプローチが有効でした。
- 手厚い本社・地域統括からの支援: 各拠点が必要な情報、技術、資金、専門家へのアクセスを本社や地域統括から得られたことが、実行を加速させました。
- データに基づく透明性の高い進捗管理: 統一プラットフォームによるリアルタイムでのデータ収集と可視化により、客観的な根拠に基づいて進捗状況を把握し、課題に対して迅速に対応できる体制が構築されました。
- 成功事例の共有と社内エンゲージメント: 成功事例を積極的に共有し、ベストプラクティスを横展開することで、組織全体の学習効果を高め、従業員のモチベーション向上にも繋がりました。
これらの事例から、他のグローバル企業が脱炭素戦略を推進する上で得られる戦略的示唆は以下の通りです。
- グローバルな脱炭素目標は、単なる数値目標に留まらず、各拠点・事業部門が腹落ちできる形で具体化・展開される必要があります。そのためには、本社主導の目標設定と、拠点の実情を反映させるボトムアップの対話が重要です。
- 効果的なガバナンスモデルは、役割と責任を明確にし、本社、地域統括、各拠点がそれぞれの役割を果たせるよう設計されるべきです。特に、本社は戦略策定と基盤整備、地域統括は地域内連携と支援、各拠点は実行を担う体制が考えられます。
- データ収集・可視化のIT基盤は、グローバルでの状況を正確に把握し、データに基づいた意思決定を行う上で不可欠です。標準化されたプラットフォームの導入を検討すべきです。
- 脱炭素への取り組みを事業評価やインセンティブ制度に組み込むことは、組織全体として目標達成へのコミットメントを高める有効な手段です。
- 各拠点が直面する多様な課題に対応できるよう、技術、資金、情報面での本社または地域統括からの手厚い支援体制を構築することが、実行力を高める鍵となります。
結論
グローバル企業における海外拠点・子会社の脱炭素推進は、多様な環境下での実行を伴う複雑な課題です。本稿で分析したA社の事例は、トップコミットメントのもと、標準化とローカライゼーションのバランスを考慮した明確なガバナンスモデル、データ活用による透明性の高い進捗管理、そして拠点への継続的な支援体制を構築することが、グローバル全体での目標達成に不可欠であることを示しています。
他の企業においても、自社の組織構造や事業特性、拠点の多様性を踏まえつつ、A社の事例を参考に、効果的なガバナンスと実行体制を設計することが、グローバルでの脱炭素経営を加速させる重要な一歩となるでしょう。