通勤・出張の脱炭素化最前線:大手企業における従業員モビリティ戦略の実践事例
はじめに:Scope 3排出量削減における従業員モビリティの重要性
多くの大手企業にとって、自社の直接的な事業活動(Scope 1, 2)だけでなく、サプライチェーンや従業員の移動を含む間接的な排出量(Scope 3)の削減が喫緊の課題となっています。特に従業員の通勤や国内外への出張に伴う排出量は、事業内容や規模によっては無視できない割合を占めます。しかし、従業員の多様な移動形態や個人の行動習慣が絡むため、その削減は容易ではありません。
本稿では、大手企業がどのように従業員モビリティの脱炭素化に取り組み、成果を上げているのか、具体的な戦略、施策、直面した課題とその解決策、そして成功要因について深掘りし、サステナビリティ推進担当者の皆様が自社の戦略立案に活用できる示唆を提供します。
大手企業による従業員モビリティ脱炭素化の具体的な取り組み
従業員モビリティの脱炭素化は多岐にわたるアプローチを組み合わせる必要があります。ここでは、複数の先進的な取り組み事例を統合し、その詳細なプロセスを解説します。
まず、最も効果的な手段の一つとしてリモートワーク・ハイブリッドワークの徹底的な推進が挙げられます。単に制度を導入するだけでなく、物理的なオフィススペースの最適化、従業員の自宅勤務環境整備への補助、オンラインコミュニケーションツールの全社的な活用研修などを実施します。これにより、通勤による排出量を大幅に削減します。
次に、通勤手段のグリーン化促進です。 * 公共交通機関の利用促進: 定期券補助の見直し、特定の環境負荷の低い公共交通機関(例:鉄道、バス)利用を推奨する社内キャンペーン、駅周辺インフラとの連携強化などを行います。 * 自転車・徒歩通勤の支援: 駐輪場の整備、シャワー室や更衣室の設置、安全講習の提供、自転車購入補助制度などを設けます。 * ゼロエミッション車の利用促進: 電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)での通勤を推奨し、充電設備の設置や購入・維持に対する補助制度を導入します。また、社用車のEV化も同時に進めます。 * 相乗り(カープール)やデマンド交通の検討: 同じ方面の従業員同士の相乗りを促進するマッチングシステムや、特定の拠点へのオンデマンドバス導入などを検討します。
一方、出張における排出量削減も重要です。 * Web会議システムの徹底活用: 出張申請プロセスにおいて、Web会議での代替可能性を厳格に評価するフローを導入します。ツール利用の研修やサポート体制を強化し、オンラインでの効果的な会議運営を促進します。 * 環境負荷の低い移動手段の優先: 国内出張では新幹線や鉄道の利用を強く推奨します。航空機を利用する場合でも、直行便の選択、最新鋭の高効率機材を導入している航空会社の優先、持続可能な航空燃料(SAF)利用便の選択を検討する基準を設ける企業もあります。 * 出張回数の見直し: 不必要な出張を削減するため、出張規定そのものを見直し、真に物理的な移動が必要なケースに限定します。
これらの施策を支える基盤として、従業員モビリティに関連するCO2排出量の可視化が不可欠です。通勤手段や出張経路、利用した交通機関の種類に応じた排出量を算定し、従業員自身や部署ごとに排出量を「見える化」するツールを導入します。これにより、削減意識を高め、効果的な施策の検討を可能にします。
定量的な成果:CO2削減、コスト効率、その他効果
先進的な取り組みを続ける企業は、具体的な成果を上げています。ある製造業大手では、リモートワークの定着と従業員へのゼロエミッション車購入補助、通勤手当制度の見直しを組み合わせることで、通勤由来のCO2排出量を年間で約20%削減しました。これは、全Scope 3排出量の約5%に相当する削減効果です。
また、出張に関しては、Web会議ツールの徹底活用と出張承認プロセスの厳格化により、国内出張回数を約30%、海外出張回数を約40%削減し、これに伴い年間約15億円の出張費削減を実現した事例があります。この出張削減によるCO2排出量削減効果は、企業全体のCO2排出量(Scope 1, 2, 3合計)の約2%に達しました。
直接的なCO2削減・コスト削減に加え、従業員モビリティの変革は副次的な効果も生み出しています。柔軟な働き方(リモートワークなど)の推進は、従業員のワークライフバランス向上に繋がり、エンゲージメントや生産性の向上に貢献するとの報告もあります。また、環境負荷の低い通勤手段(自転車、徒歩)の推奨は、従業員の健康増進にも寄与します。
直面した課題と解決策
従業員モビリティの脱炭素化は、技術や制度の問題だけでなく、従業員一人ひとりの行動変容を促す難しさも伴います。多くの企業が直面した課題と、それに対する解決策は以下の通りです。
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課題1:従業員の習慣と抵抗
- 長年の通勤習慣や特定の移動手段への依存は根強く、制度変更への抵抗や戸惑いが生じやすいです。
- 解決策: 強制ではなく、選択肢とインセンティブを提供します。リモートワークのメリット(通勤時間削減、集中力向上など)を継続的に伝え、自転車通勤者向けのインセンティブ(補助金、表彰)を設けるなど、行動変容を促す動機付けを行います。経営層からの明確なメッセージ発信も重要です。
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課題2:部署ごとのニーズの違い
- 製造現場や対面顧客対応が必須な部署では、リモートワークや出張削減が難しい場合があります。
- 解決策: 柔軟な制度設計と個別対応を行います。全社一律ではなく、部署の業務特性に応じたモビリティ戦略を策定します。現場作業員向けには、特定の公共交通機関利用補助や相乗り支援、シフト調整によるピーク時間回避などを検討します。
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課題3:排出量データの収集と分析の複雑さ
- 従業員の多様な通勤経路や出張ルート、利用する交通機関の種類が多岐にわたるため、正確な排出量を網羅的に把握し、継続的にトラッキングするのは困難です。
- 解決策: 専用のツールやプラットフォームを活用します。従業員に通勤手段や出張の詳細を記録してもらうシステムを導入し、交通機関ごとの排出係数データベースと連携させて自動計算を行う仕組みを構築します。これにより、データ収集の負担を軽減し、正確性を向上させます。
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課題4:インフラ整備の限界
- 自転車通勤に必要な駐輪場やシャワー室、EV充電設備などの物理的なインフラ整備にはコストがかかり、オフィスの立地によっては限界があります。
- 解決策: 段階的な整備と外部サービスとの連携を検討します。需要の高い拠点から優先的に整備を進め、必要に応じて近隣の商業施設や公共施設の駐輪場・充電サービスとの提携も視野に入れます。
成功要因と戦略的示唆
従業員モビリティ脱炭素化を成功に導くための主な要因は以下の通りです。
- 経営層の強いリーダーシップとコミットメント: トップが脱炭素化の重要性を認識し、明確な目標を設定し、資源投下を承認することが不可欠です。
- 明確な目標設定とKPI設定: 定量的なCO2削減目標を設定し、リモートワーク率、Web会議利用率、特定交通機関の利用割合などのKPIを設定して進捗を管理します。
- 部署横断的な連携: サステナビリティ推進部門が中心となり、人事、総務、IT、各事業部門と密接に連携して施策を推進します。
- 従業員の巻き込みとコミュニケーション: 施策の意義を丁寧に説明し、従業員の意見を反映させる機会を設けます。社内キャンペーンやインセンティブを通じて、従業員一人ひとりの意識と行動変容を促します。
- テクノロジーの積極的な活用: 排出量可視化ツール、Web会議システム、モビリティ管理プラットフォームなどを効果的に活用します。
これらの成功要因から得られる戦略的示唆は、他のScope 3排出量削減やサステナビリティ戦略全般にも応用可能です。
- Scope 3削減の重要なフロンティア: 従業員モビリティは、適切なアプローチによって大きな削減ポテンシャルを持つ領域です。
- 働き方改革・健康経営との連携: 脱炭素化の取り組みを、従業員の働きがい向上や健康増進といった他の経営課題と連携させることで、施策の受容性を高め、相乗効果を生み出せます。
- データに基づいた戦略策定と効果測定: まず現状の排出量を正確に把握し、施策の効果を定量的に測定・評価する仕組みを構築することが成功の鍵です。
- 多様性と柔軟性の確保: 全従業員に一律の施策を押し付けるのではなく、多様なニーズに対応できる柔軟な制度設計が必要です。
結論:従業員モビリティ脱炭素化の未来へ
従業員モビリティの脱炭素化は、Scope 3排出量削減に不可欠な戦略であり、リモートワーク、グリーンな通勤・出張手段の促進、テクノロジー活用、そして最も重要な要素である従業員の意識と行動変容を促す取り組みの組み合わせによって実現されます。
本稿で紹介した事例は、具体的な成果とともに、この領域特有の課題とその克服方法を示しています。サステナビリティ推進担当者の皆様には、これらの知見を参考に、自社の組織文化、事業特性、インフラ環境に合わせた最適な従業員モビリティ戦略を構築し、脱炭素経営の実現に向けた重要な一歩を踏み出していただきたいと思います。今後、技術の進化や新たなモビリティサービスの登場により、従業員モビリティの脱炭素化はさらに加速していくことが予想されます。継続的な情報収集と戦略の見直しが、持続可能な未来への貢献に繋がるでしょう。