航空産業のカーボンニュートラル戦略:持続可能な航空燃料(SAF)と運航最適化による排出量削減事例
はじめに:脱炭素が困難な航空産業の挑戦
グローバルな温室効果ガス排出量において、航空産業が占める割合は増加傾向にあり、その脱炭素化は喫緊の課題です。しかし、航空機はその航続距離や安全性の要件から、エネルギー密度の高い化石燃料への依存度が高く、電化や水素燃料への全面的な転換には技術的・インフラ的な課題が多く存在します。このような状況下で、短中期的な脱炭素戦略として注目されているのが、持続可能な航空燃料(SAF: Sustainable Aviation Fuel)の導入拡大と、運航効率の最大化による排出量削減です。
本稿では、航空産業におけるこれらの取り組みを、具体的な事例やデータに基づいて深く掘り下げ、直面する課題と解決策、そして他の産業、特にサプライチェーン排出量(Scope 3)に航空機利用が含まれる大手企業がそこから得られる戦略的な示唆について解説します。
具体的な取り組み内容:SAF導入と運航最適化
航空産業の脱炭素化は、主に以下の二つの柱で進められています。
-
持続可能な航空燃料(SAF)の導入: SAFは、バイオマス(廃食用油、木材チップ、農産物残渣など)、都市ごみ、藻類、さらには合成燃料(Power-to-Liquid: PtLなど、再生可能エネルギー由来の電力とCO2から製造)など、非化石資源を原料として製造されるジェット燃料です。既存の航空機やインフラを大きく変更することなく使用できる「ドロップイン燃料」として、脱炭素効果が期待されています。ライフサイクル全体で見た場合、従来のジェット燃料に比べて最大で80%程度のCO2排出量削減が可能とされています。 主要な航空会社や航空機メーカーは、SAFの利用目標や購入契約を積極的に設定しています。例えば、ある大手航空会社は、2030年までに使用燃料の10%をSAFに置き換える目標を設定し、複数のSAFメーカーとの長期購入契約を締結しています。また、航空機メーカーは、SAFの混合率向上に向けた研究開発や認証取得を進めています。
-
運航効率の最適化: 技術革新と運航方法の改善により、燃料消費を削減する取り組みも進められています。
- 航空機の設計・技術: 最新の高効率エンジンの開発・導入、機体構造の軽量化、空力性能の向上などが含まれます。新型機の導入は、既存機に比べて燃費が15%〜25%改善される事例もあります。
- 飛行計画・航路最適化: 気象情報、管制情報、空域制限などを考慮し、最適な飛行高度、速度、航路を選択することで、燃料消費を最小限に抑えます。AIを活用したリアルタイムでの航路最適化システムの実装も進められています。
- 地上運航の効率化: 空港でのタキシング(地上走行)におけるエンジン使用削減(電動タキシングシステムなど)、駐機中の補助動力装置(APU)使用削減(地上の電力供給利用)なども重要な要素です。
- 運航プロセスの改善: 離着陸アプローチの最適化(例:連続降下方式)、機体重量の管理(搭載燃料の最適化、貨物積載効率化)なども燃費効率に寄与します。
これらの取り組みは単独ではなく、組み合わせて実施されることで、より大きな脱炭素効果を目指しています。
定量的な成果
これらの取り組みによる定量的な成果は、航空会社や個別のフライトによって異なりますが、一般的な傾向として以下のようなデータが見られます。
- SAFによるCO2削減: SAFはその種類や製造プロセスによりますが、従来のジェット燃料と比較して、ライフサイクル全体で40%〜80%のCO2排出量削減ポテンシャルを持ちます。例えば、年間10万トンのSAFを使用する航空会社は、理論上、化石燃料代替分として年間4万トンから8万トンのCO2排出量を削減できる可能性があります。
- 運航効率化による燃費改善: 新型機の導入や運航最適化により、フライトあたりの燃費が数%から最大10%以上改善される事例が報告されています。特定の長距離路線において、AIによる航路最適化を導入した結果、年間で数%の燃料費削減とそれに伴うCO2排出量削減を達成したという事例もあります。
- コスト削減効果: 運航効率の改善は直接的な燃料費削減につながります。燃料費は航空会社の主要なコスト要素の一つであり、燃費の1%改善が年間数十億円規模のコスト削減につながるケースもあります。ただし、SAFは現状、従来のジェット燃料よりも高価であり、その導入拡大には追加コストが発生します。
直面した課題と解決策
航空産業の脱炭素化は、数多くの困難に直面しています。
- 課題1:SAFの供給量とコスト: SAFの生産量は現在のジェット燃料需要量のごく一部に過ぎず、供給が限定的です。また、製造コストが高く、従来のジェット燃料の2倍から数倍の価格で取引されています。
- 解決策: SAFメーカーへの長期的な投資・共同開発、航空会社による長期購入契約による需要の確実化、政府による製造・導入支援策(税制優遇、補助金、SAF混合義務化などの政策誘導)が求められています。複数の航空会社や燃料メーカー、空港などが連携し、大規模なSAF供給ネットワークの構築を目指す動きもあります。
- 課題2:原料の持続可能性と拡大性: 特にバイオマス由来SAFの場合、原料調達が食料供給や土地利用と競合する可能性や、原料生産段階での環境負荷(森林破壊、水質汚染など)が懸念されます。
- 解決策: 廃食用油や農業残渣などの廃棄物・副産物の利用拡大、非食用植物や藻類、合成燃料(PtL)など、持続可能性が高く拡大可能な原料・技術の開発・認証に注力しています。第三者認証機関による持続可能性基準の遵守が不可欠です。
- 課題3:既存機材の制約と技術導入コスト: 既存の航空機は設計上の制約があり、大幅な燃費改善には限界があります。新型機の導入には巨額の投資と長いリードタイムが必要です。運航最適化のための先進技術(AIシステム、データ分析基盤など)の導入にもコストと時間がかかります。
- 解決策: 既存機材に対しても、エンジン改修や空力部品の追加などの改良を施すとともに、運航プロセスの改善やデジタル技術活用による効率化を徹底します。長期的なフリート更新計画に基づき、燃費効率の高い最新鋭機材への計画的な置き換えを進めています。技術導入においては、段階的なアプローチや、複数の航空会社・関係機関による共同開発・共有システムの検討も行われています。
- 課題4:国際的な規制と協力体制の構築: 航空はグローバルな産業であり、脱炭素化には国際的なルール作りと協力が不可欠です。燃料基準の統一、排出量取引制度(CORSIAなど)への対応、SAFの認証・追跡システム構築など、多様なステークホルダー間の調整が必要です。
- 解決策: 国際民間航空機関(ICAO)などの枠組みを通じて、共通の目標設定や基準策定に積極的に参加・貢献しています。また、燃料サプライヤー、空港運営者、管制機関、政府、研究機関など、幅広い関係者との対話と連携を強化し、産業全体での脱炭素エコシステム構築を目指しています。
成功要因と戦略的示唆
航空産業における脱炭素への取り組みから、他の産業が特に参考とできる戦略的な示唆がいくつかあります。
- 技術開発と運用改善の「両利き」アプローチ: 航空産業は、抜本的な技術革新(SAF、将来的には水素・電動化)と、既存技術・システムを用いた運用効率の改善という両面からアプローチしています。これは、他の脱炭素が困難な産業(鉄鋼、セメント、化学など)や、大規模な物流・フリートを持つ企業にとって、短期的な排出量削減と長期的な構造転換を並行して進める上で非常に参考になります。自社の主要な排出源について、現状のオペレーション改善でどこまで削減できるか、並行して将来的な技術オプション(例:低炭素原料への転換、プロセス電化、ゼロエミッション車両導入など)にどう投資・移行していくかという視点を持つことが重要です。
- サプライチェーン全体での協調と投資: SAFの供給拡大には、原料生産者、SAFメーカー、物流事業者、空港、航空会社、そして需要家(航空券購入企業など)を含むバリューチェーン全体での連携とリスク・コスト分担、長期的なコミットメントが必要です。これは、自社のScope 3排出量削減において、サプライヤーや顧客との協調がいかに重要であるかを示唆しています。特に、新しい低炭素技術や素材の導入においては、サプライヤーとの共同開発や、長期的な購入契約による需要創出が、市場を活性化させる上で鍵となります。
- 政策エンゲージメントと国際連携の重要性: SAFの普及や新しい低炭素技術の導入には、多くの場合、政府の支援策や国際的なルールの整備が不可欠です。航空業界は、業界団体などを通じて積極的に政策提言を行い、必要な規制緩和や支援策の実現を図っています。自社においても、属する産業やバリューチェーンに関わる政策動向を注視し、必要に応じて業界団体などを通じた政策エンゲージメントを行うことが、脱炭素戦略を加速させる上で有効な手段となり得ます。
- データ活用による継続的な改善: 運航データの詳細な分析は、燃費改善のボトルネック特定や、運航最適化アルゴリズムの精度向上に不可欠です。これは、あらゆる産業における脱炭素推進において、自社のエネルギー消費量、排出量、生産プロセスなどのデータを収集・分析し、継続的な改善活動につなげることの重要性を再認識させます。デジタル技術を活用したエネルギーマネジメントシステムや排出量可視化ツールの導入は、データに基づいた意思決定を可能にします。
成功要因としては、これらの取り組みに対する経営層の強いコミットメント、長期的な視点での研究開発・設備投資、そして社内外の多様なステークホルダーとの継続的な対話と協調が挙げられます。特に、脱炭素が困難な領域においては、単一の技術やアプローチに依存せず、複数の手段を組み合わせるとともに、エコシステム全体での変革を推進する視点が不可欠です。
結論
航空産業は、技術的・経済的な多くの課題を抱えながらも、SAF導入と運航効率最適化を二本柱として脱炭素への挑戦を進めています。SAFの高コストや供給制約、運航最適化における既存機材の制約といった困難に直面しながらも、技術開発投資、サプライチェーン連携、政策エンゲージメント、そしてデータ活用による継続的な改善といった多角的なアプローチで課題解決を図っています。
航空産業の事例は、脱炭素困難な領域における挑戦のあり方、サプライチェーン全体での協調の重要性、政策との関わり方など、多くの示唆を含んでいます。大手企業のサステナビリティ担当者の皆様におかれましても、自社の事業特性やバリューチェーン構造を踏まえ、これらの事例から得られる教訓を、自社の脱炭素戦略立案や推進に活かしていただければ幸いです。将来的には、水素航空機や電動航空機といった技術も登場する可能性があり、航空産業の脱炭素への挑戦は今後も続いていきます。